桜蔭生が語る中学受験①
こんばんは、アクムです。今日はこれからお子さんの中学受験を考えている親御さん、現在中学受験に奮闘している親御さんに向けて、中学受験の栄冠、桜蔭学園出身であり中学受験に翻弄された私がお話出来ればと思います。
まず言いたいこと。中学受験なんかで人生決まりません。
焦らないでください。
でも、東大合格者は名門中高一貫校ばかりじゃないか、中受しないといい大学への道も閉ざされるんじゃないか、このグローバル時代に置いて行かれるんじゃないか・・・。
いろいろな不安があると思います。実際中学受験の競争というのは上に行けば行くほど苛烈です。塾からも本当に不安をあおられます。狭い世界に閉じ込められて、この競争に勝たねば未来はない、中学受験は親の受験、などといって親もろともレースに強制参加させられます。
でも安心してください。それはある種洗脳です。刷り込みなんです。
9~12歳のこどもは、自分の将来のために今から努力しよう、自律しようなどとは考えることはできません。なので、小学生の頃の成績というのは遺伝とその時の学習への興味によって行動付けられます。
その結果に納得できない親は焦りに焦り、子供に発破をかけることになります。
ですが、何かを失ってまで、こどもに制限をかけ、精神的に追い詰めてまで少しでもより良い学校に入ることはあまり意味のあることではありません。
大学受験までに、こどもは反抗期を迎え精神的自立に向っていきます。親のいうことなんか簡単にきかなくなります。中学受験の時に無理やり勉強させても、中学高校では勉強なんてしなくなる、ということが容易に起こりえます。中学受験の内容というのは大学受験の内容とかぶっている訳ではないので、中学受験の貯金というのはあまり意味を成しません。それまでに、自分から学びに興味を持てるか、自律して自分の将来を思えるか、それがすべてです。
名門中学一貫の子供が名門大学に入るのは当時から学習に興味があり、天賦の才もあったからで、中学受験の際に親が勉強させたから学習習慣がついたとか、頑張ったからレールにのれたとかいうわけではありません。
私は周りにさんざん優秀な人間がいたからわかるのですが、中学受験のさいに「やらされて」勉強していた子はあとから全く勉強しません。私もその一人でした。「自分から」勉強するようになったこどもはどんな学校からでも有名な大学にいきます。
こんなはずじゃなかった・・・と思う人へ
人生って不平等ですよね・・・。私もこんなはずじゃなかった、ってよく思うし、
有名大学に進学している同級生や人生楽しそうにしている友達と自分をくらべては、
自分はなんでこんなにうまくいかないんだ、努力が足りないのか、とかいろいろと考え
てしまいます。でも、長かった精神病院での入院生活で、気づいたことがあります。
私は傷ついているんだ、ということ。
なんだ、そんなことならみんな悩んでいるし当たり前だ、と思うかもしれません。
でも、私はこんな風に考えました。
人生が50m走だとして、生まれつき足の速い人もいれば遅い人もいます。
遅い人は、速い人を羨むかもしれないし、ひがむかもしれない。
でもみんな自分のペースで走っていきます。
ふと自分の足元をみてみます。そこにあったはずの脚がないんです。
傷つけられて、戦って、負傷してもうボロボロ。
それでもあなたは走ろうとしますか?
脚の速い人と同じように走れないことを羨みますか?
まずは手当てをしましょうよ。自分が傷ついていることに気付かなかったら傷口が化膿してしまいます。
それから、上等な義足を、腕のいい技師につくってもらいましょう。
うまく走れるまで、誰かの肩を借りてもいいんです。
自分を責めるよりも前に、自分が誰よりも傷ついていること、自分で気づいてあげること。それが大切なんだと。
私は重症のPTSD患者ですが、そんな風に思ったら、昨日よりもすこし、心がラクになりました。
ADHDじゃなかった・・・
ADHDかも?
ADHDの診断
ADHDのせいにして生きてきた。
ADHDではなく虐待の産物
発達障害の診断は難しい
自分を責めないでほしい
こんばんは、PTSDのアクムです。
今回は、わたしがADHDだと誤診されていた話をしたいと思います。
ADHDかも?
中学時代、ADHDに近い症状がありました。学校の授業はいつもうわの空で、課題わいつも間に合わず、なんども遅刻をくりかえし、毎日のように叱られ・・・。
プリントはなくすし、頭の中がぐちゃぐちゃです。片付けも大の苦手。部屋は足の踏み場もなく・・・。おまけに時間の管理も全くできません。
ADHDの診断
診断の手順としては、一時間程度のIQ検査と、ADHDの自覚症状のチェックリストに記入するという形。
IOにも種類があって、動作性・言語性・処理速度・ワーキングメモリーの四つに分けられます。
私はすべての項目において平均値は取れていたのですが、動作性IQのほうが言語性IQよりも大幅に高く、その差が不全感を引き起こしているとのことでした。(確かに各項目のIQにがたつきがあると発達障害の可能性が高まります。)
こうして、薬剤による治療がはじまったのでした。
ADHDのせいにして生きてきた。
それから三年後・・・。ずっと生きづらさや苦しさはあったのですが、希死念慮がたかまり違う病院へ入院することとなります。いままでの検査結果や薬の情報もひきつがれたのですが、医師は私をみて一言、あなたは発達障害ではない、と。
根拠としては、目があって普通に会話ができ、コミュニケーションが普通に取れたからみたいです。
正直びっくりしました(汗)。ADHDだから、努力がつづかない、ADHDだから、計画がたてられない、そういうことを全部直さなきゃ、私はおかしいんだ、一生懸命、普通になろうとおもって、これを一生背負っていく覚悟で頑張ってきました。とってもつらかったです。ありのままの自分では、生きてはいけないんだと、突きつけられたような気持ちでいたので・・・。
ADHDではなく虐待の産物
度重なる心理検査や面談の中、診断は慎重に行われたのですが、ADHDではなく、PTSDだと告げられました。私は幼少期、暴力や心理的コントロールをくりかえし受けていたので、それが私の精神を変えてしまったんですね。
中学時代のADHD様の症状はすべてPTSDの現実感の消失からひきおこされていたようです。私はPTSDによりスリルや満足を人並みに感じられないのですが、それもたまに起こる躁的な、後先顧みない行動につながっていたようです。
私も自分でいろいろと調べたところ、虐待が発達障害のような症状を引き起こすことはよくあることみたいです。学校で暴力をふるってしまうだとか、授業中に立ち歩いてしまう、そういうことが起きた時に、やっぱり親は自分のせいだとは皆目思わない。気づいていたとしても認めたくない。この子に問題があるのでは?となって、心療内科ではその人の過去や心理状況まで探らないことが多いですから、発達障害の診断が簡単につけられてしまうみたいです。
発達障害の診断は難しい
最近、発達障害って流行ってますよね。流行っているって言い方おかしいのかもしれませんが、でも劇的に診断件数は増えています。ただ、発達障害はうまれもった脳の器質的な問題なので、時代によって圧倒的に増える、ということは考えにくいです。
やっぱり、日本の同調圧力の文化も影響しているかもしれないし、それだけ日常生活に困っている人が多いということですよね。
それでも人間の心というのはMRIでとったらおかしいとかおかしくないとかわかるものではないので、精神疾患の診断というのはとっても難しいです。ちゃんとその人の背景や心の状態を見ずに、診断を下している病院もとても多いことでしょう。だから本当の病名にたどり着くのは時間が掛かります。
自分を責めないでほしい
虐待被害者で、病名をつけられている方や発達障害の診断を受けた方、本当に多いかもしれません。でも、私は虐待をうけた方の自分を責める要因をこれ以上増やしたくないのです。
虐待によってつけられた傷は、見ないようにしていてもきえるものではありません。発達障害のせいにして、自分をかえようとしても、それが癒されない限り人生はつらいものになってしまいます。
だから、自分は虐待をうけて傷ついているという思いがあるかたは、それにきちんと向きあってもらえる場所を探しましょう。あなたがおかしいのではないんです。
はじめまして、ptsd患者です。
目次
はじめまして
これまで
終わりに
はじめまして
元桜蔭生、現行引きこもりで親からの虐待を受けptsdを発症したアクムです。虐待・毒親に苦しむ人、アダルトチルドレンになってしまった方、ptsdのみならず精神疾患に苦しむ方、子供の中学受験を考えている親御さんにむけて、私の失敗談や考えを発信していきます。
健康な人と同じように活躍できなくとも、私の生きた証がここに残りますように。
これまで
桜蔭学園→日比谷高校→総合格闘家→現在引きこもり
なんでもよくできた幼少時代、日能研でトップの成績を維持しながら日本最高峰桜蔭学園に入学。しかし、燃え尽きたように無気力になり何も楽しくなく日々虚無感を感じ、身体のだるさも取れず死んだように三年間を過ごします。
一念発起し、半年間の受験勉強の末日比谷高校に入学しますがぬぐえない虚無感や勉強への嫌気がさして三か月で中退。
その後のめりこんだ格闘技の道で女子高生格闘家としてプロデビューしますが事務所のいざこざに巻き込まれ、マネージャーと揉めてクビを切られ、そのこころの傷が祟ったのかほどなくしてうつ状態となります。
精神病院に入院することになった私は、これまでのADHDや躁鬱の診断をくつがえし、PTSDとの診断を受けました。
毒親から繰り返される虐待・・・PTSDに
PTSDになった原因は、親からの虐待にあったように思います。
半グレの父からは、思いっきり殴られ、私の大切にしているものを壊されました。
なぜか強くなることを求められ、よくトレーニングにつき合わされ、涙をながすと買ってもらったものを捨てると脅されました。
中学に入ると喧嘩になると刃物がもちだされるように。殺してやると包丁を突きつけられ、耐えかねた私は家出をし児童相談所のお世話になったことも。
母からは、主に精神的コントロールです。学校から帰ると勉強を強いられ、横でずっと監視されていました。ミスをするとため息をつき、机を叩き、最終的にひっぱたかれます。塾で校舎で一位は当たり前、次は全国でいい順位を、その次は全国で一位をと、どこまでも母は満足してくれませんでした。いわゆる教育虐待ってやつですね。
私は母の大きすぎる期待に応えようと、認めてもらおうと、愛してもらおうと、必死になって頑張り続けました。結果だってだしました。それでも、母が私自身を愛してくれることはなかったのです。
このように、幼少期に負った心の傷、穴といっていいかもしれません、それはPTSDとして私を苦しめ、今もわたしの精神は変質したままです。
PTSDの多彩な症状
私の症状の中で、主たるものは無感情です。私は恐怖や恥を人より感じません。そのかわりに、満足やしあわせも感じられません。何をやっても空虚の連続、すべては無駄なことに思えます。
また、持続し続ける罪悪感があり、つねに自分が擦り切れるまで努力していないと許せません。
加えて、頻繁に悪夢をみるので万年不眠に悩まされています。いつも同じ夢です。父親から逃げようとしても逃げられない、そんな夢を眠るたびに見ます。
そして、解離。解離っていわれてもなんのことかわからないよ、という人も多いとはおもいますが、要は意識が別の場所に切り離されてしまうことを指します。普段は何も感じない私なのですが、突然に自責の考えや激しい怒りがエスカレートしていって、過呼吸になったり、酷い場合には記憶がなくなります。いわゆるパニックに近い状態ですね。この時に、私はよく暴れてしまいます。どうにも耐えられない激しい感情に身を焼かれるようです。
終わりに
わたしのことを簡単に紹介させてもらいました。これからは、PTSDの治療課程をしるしたり、少しでも心を楽にする考え方を記したり、お子さんに教育を施そうとされている親御さんにむけてやってはいけないことや不安を取り除くような記事を書こうと思います。よろしくお願いします。